会社概要

経営理念

「職人としての気質を尊重しながら伝統を守り、
皆に愛される老舗として地域に貢献します。」


※手造り味噌教室より 

今野味噌醤油醸造店は明治三十三年六月に創業しました。
初代”今野 参三郎”から始まった醸し(かもし)を絶やさず、現代までこうじ菌と共に生きてきました。
参三郎から繋いできた職人の気質を重んじ、オートメーション化に頼らず、自分たちの手を介してモノを造ること。
そして手造り味噌教室などのイベントを通して醸造という伝統を守り、弊社商品を使ってくれている方に美味しさと安心安全を届けたい。
そのような地域に根付いた皆に愛される老舗でありたいという気持ちから、この経営理念となりました。

 

 


代表挨拶

今野 壱啓


弊社は創業以来、醸しを絶やさず今日までやってまいりました。
醸造を始めて百二十年目となり、これも日頃よりご愛顧頂いている皆様の支えがあってのことと存じます。
私自身、味噌・醤油造りに携わり約四十五年になりますが、微生物といういきものを理解し、扱うには多大な時間を要します。
この歳になっても学ぶことが多く、そこが醸造の素晴らしさであると感じております。

残念ながら今日の味噌・醤油業界は食の多様化や簡易化に加え、昨今のコロナウイルスの感染拡大により非常に厳しい状況となっているというのが現状です。
そのような中で私たちの様な蔵元が生き残っていくには、“人の手を介した良いモノ造り”そして“それらを認知してもらうための発信”が重要になってくると感じております。

昔ながらの木桶を使用した仕込みの伝統を守りながらも、インターネット社会という時代の流れに順応する、そのような蔵元を目指しこれからも励んでまいります。
これからも皆に愛される老舗として、米沢から醸造を発信し良いモノ造りを心がけてまいります。


コンセプトとタグライン

コンセプト…「紫杜氏のいる蔵元」

醤油は別名「むらさき」とも呼ばれています。理由は諸説あります。

1.昔の人は赤褐色をむらさきと言っていた
2.丹波の黒豆を原料につくる醤油はむらさき色であった
3.江戸時代、醤油は高級品であり高貴な意味合いをもつむらさきの名がついた

杜氏とは、日本酒において製造工程を取り仕切る職人のことであり蔵人の責任者のこと。
実は醤油を木桶で原料から仕込み、自社で製造している蔵元は全国でも1%以下ととても希少です。

その希少性・差別化を端的に伝えるため、「醤油をいちから造ることのできる職人」という意味の紫杜氏という造語を用いてこのコンセプトとしました。

タグライン…「こうじ菌と百余年、ともに生きる」

弊社は創業当時からずっとこうじ菌の力を借りて今日まで発酵を続けてきました。
こうじ菌や長年、蔵に住んでいる菌たちは私たちにとって非常に大切なものであり弊社の歴史に寄り添ってきました。
この百余年を共にし、これからも菌と一緒に生きていく。という意味を込めました。


会社沿革

1900年(明治三十三年)
初代「今野 参三郎(さんざぶろう)」が今野商店として醸造酢の製造・販売を開始。
自分の名である参三郎にかけて明治三十三年六月に創業。
当時、舟運として近くを流れていた最上川(松川)を由来して屋号をマルカワとする。
1925年(大正十四年)
初代「参三郎」隠居。長男の「今野 久次(ひさじ)」が二代目として「参三郎」を襲名。
醸造酢のほか、味噌の製造・販売を開始。
1938年(昭和十三年)
二代目「久次」の長男、「今野 源太郎(げんたろう)」が三代目として「参三郎」を襲名。
1947年(昭和二十二年)
三代目「源太郎」が病に倒れ、義弟である「今野 啓輔(けいすけ)」が四代目となる。
醸造酢・味噌のほか、醤油の製造・販売を開始。
1986年(昭和六十一年)
四代目「啓輔」の長男、「今野 壱啓(かずひろ)」が五代目となる。
味噌蔵にクラシック音楽を流し、発酵を促す音楽醸造を開始。
2012年(平成二十四年)
「手造り味噌教室」を開始。味噌造りを通して醸造・発酵を伝播させる。
2015年(平成二十七年)
味噌・醤油のほか、ハーブビネガー・南蛮麹・三五八・フルーツ甘糀を商品化。
2019年(令和元年)
五代目「壱啓」の長男、「今野 良輔(りょうすけ)」が六代目として家業を継ぎに戻る。
2020年(令和二年)
有機丸大豆を使用した丸大豆醤油仕込みを開始。
千枚漬けの素を商品化。
2021年(令和三年)
二年熟成 無添加 丸大豆木桶仕込み本醸造醤油”壱”仕込み開始。
発酵食品を使用した料理教室開始。
2022年(令和四年)
煮物名人/芋煮のたれを商品化。カネマス醤油を引継ぎ、カネマス仕様醤油を商品化。
山形新聞に掲載。
2023年(令和五年)
壱醤油を商品化。米沢品質AWARD2023受賞。 

※四代目啓輔と五代目壱啓